日々の

オーストラリアでの生活、精神論、彼女とのことなど

Recording

オーストラリアに住み始めてすでに1年半ほどが経つ。

ふと、自分の記憶は自分の中だけで、どこにも公開されずに消えていくのか、と考えた。

私はYouTubeなどの配信もしていないし、インスタグラムは親しい友人のみに投稿を公開している。更新頻度は高くはない。

まめに更新している友人を見ると感心する。

 

 

 

 


大学4年生の頃、一人、シンガポールに旅行した時に思った。

現地にてたくさんの写真を撮ったのだけれど、もしこの携帯を紛失してしまったり、私がこの旅行の記憶を無くしてしまったら、私はシンガポールには行っていないことになってしまうのではないか?と。

それから私は一人で国外旅行はしていない。

国内旅行はしてるけど。目的が異なるので。

 

 

 

私のオーストラリアでの記憶は、私が自発的に発信しない限り、私の中で留まったままになる。

それどころか、記憶はどんどん薄まって、いつか起こったほとんどを忘れてしまうのかもしれない。

 


記憶にはなくなっても、もしかしたら身体は覚えているかもしれない。でもそんなことを私の意識は知覚できない。

 

 

 

 


だから、今からではもう遅いかもしれないけど、できるだけこれからのことを記録していこうと思う。

生きている中で、日々複雑そうな、本当はシンプルかもしれない、そんな色々な感情を抱いている。

その機微を、私は忘れたくないし、記憶していたいと思う。

 


私のオーストラリアでの生活が終わるのは今年の9月。それ以前に帰国するかもしれない。それは今はまだわからない。

 


彼女は今年の5月でビザが切れる。それ以降の私達のことは、私達にもわからない。

彼女とのこと、残された日々の出来事や感情、日本のこと、私には書かないといけないことがたくさんある。

 


書きたいのに、書くことって腰が重い。

それでも今書かなければいつ書くんだよって感じ。

 

 

 

 

 

 

I've already been in Australia for 1 and a half year.

Actually my recent life is so stable,so I didn't record my life in any SNS at all.

But I recently feel my Australia life is gradually gradually getting closed to finish.

 


When I went to Singapore for the travel,I felt that if I lost my phone and forgot my traveling memories,it was that I didn't go to Singapore?After that,I did't travel alone.

(I traveled alone in Japan because I felt it was a little different from traveling abroad)

 


My friend told me that its moment is just a little bit in my whole life.

That word remained me of the feeling that I want to write my Australia life.

I liked writing and analyzing my feeling in the past.

 


I feel a lot of feeling everyday but it gradually fades out if I don't record it.

So I decided that I'm going to record my Australia life.

 


Recording memories makes me feel it's hard,but I should write it now.If I don't write it now,when should I write it?

 


My visa expires Sep and my girlfriend's one does May.

After that,we also don't know what's going to happen us.

子どものまま

彼女の胸で泣いている時、私は何にも変え難い安心感を覚える。

 

 

私はよく自分の精神分析をする時に、この苦しさが過去のトラウマから来ているのではないか、と自分の幼少期の記憶を掘り起こす作業をすることがある。

この作業は強い怒りや悲しみをもたらすことも多々ある。

例えば、私はよく「自分のせいにされている」「責められている」と感じることがある。

何故そう感じるのか?を深掘りした時に、小学生の頃、食洗機の置いてある台の真下に置いてあったパソコンが、食洗機から水が溢れたことで故障し、そのことで何故か私が父親にひどく叱られたことを思い出す。父親の言い分は、私がよくパソコンを使っていたので、管理はお前の責任だというものだった。

そんな四六時中パソコンを触っているわけでもないし、まず何で食洗機の代の下に置いたんだよと突っ込みたいし、食洗機の都合は私には関係ないし、とにかく私は責任を押し付けられた気がしてひどく悔しかった。

 

このことを思い出した時に、彼女の胸に「私のせいじゃないもん」と泣きついた。「あなたは何も悪くないよ」と頭を撫でてくれた。

 

これだけ聞くと、彼女がえらい大人に見えるかもしれないが、実際彼女と接したことがある人はわかるだろう、彼女はとっっても振る舞いが子どもだ。

私よりちょっと年上だが、見た目も中身もとてもそうは見えない。言動も幼稚。

「にょーん」とか「ひゃー」とかわけのわからない音声を発して体当たりしてくる。

 

正直私が彼女の胸で泣くようになるまでは、「私がしっかりしないと」「大人らしく振る舞わないと」「彼女に「大人なんだからしっかりしなさいよ」と言える立場にいなければ」と思っていた。

 

彼女を支えたい、お世話してあげたい気持ちは充分にある。だから料理も洗濯も彼女の分までしっかり完璧にこなそうと頑張っていた。

 

が、徐々に、「どうしてこんなに頑張ってるのに、彼女はずっと子どもな言動で、私ばかりが頑張らないといけないの?」という疑念が湧いてきて、彼女とギスギスした時期もあった。

 

別れ話を切り出したこともあった。

その際に「今あなたの心は弱っている。でも私も同じように弱ってる。完全にはケアできない。自分の心の弱さは自分でなんとかしなさい」と彼女から言われたことが、衝撃だった。

 

その後、私は、自分の未熟な、どうしようもない子どもな「やった方がいいってわかってるけど、やりたくないもん」「私が悪いんじゃないもん!」という自分の心に従い、家事もほどほどにできる範囲でやるようになった。

 

私が彼女より先に仕事が終わる時、私はいつも彼女の夕飯を用意していた。

でも、最近は準備しない日も増えた。

「用意できたらするね」と私が言うと彼女は、

「ありがとう。でも無理しないでね。できなかったらそれはそれで連絡してね」

と言って頭を撫でてくれる。

 

彼女もきっと心のうちに、子どものままでいたいような、そんな心を持っていて、

私もきっと子どもの心から抜け出せていない。

 

でもそんな自分を理解することが大事で、そんな自分でも受け入れてくれる、同様に子どもな彼女と出会えて本当に良かったと思っている。

 

辛いことがあると、私は彼女の胸に飛びつく。

こんな暖かくて、懐かしいような場所はほかにはない。

メルボルンの冬、ほんまに寒い。

去年の今頃、私はブリスベンに居た。

ブリスベンは、オーストラリアの東側の真ん中あたりに位置するため、かなり南側にあるメルボルンと比べると気候が大きく異なる。

 

ブリスベンの冬は、日本の冬に比べるとそこまで寒くはなかった。ヒートテックを着用せずでも平気だったし、確かに厚めのアウターは必要だったが、中のシャツは半袖でもokなぐらいだった。お昼頃は普通にあったかかったし。

 

でもメルボルンは寒い。

日本の冬と同じぐらい寒い。

ヒートテック必須だし、半袖を着ることは基本ない。タイツやマフラーも必要だ。

彼女はいつも寒い寒いと嘆いている。

日本はこれからどんどん暖かくなるのに、メルボルンはもっと寒くなっていく。

 

そして、ちゃんと陽が落ちるのも早い。

日照時間が減ったためか、メンタル的に落ち込むことが増えて、内省的な自分がこんにちはし始めた。

オーストラリアに来てからしばらくは身を潜めていたのに…。

日本にいた時も、真夏(暑すぎて自律神経狂う)、秋、初冬はメンタルやられがちだった。

まさかオーストラリアでも、同じ現象が起きるだなんてね…。

 

そんなわけで最近、自分の精神とかトラウマと向き合う機会も増えて、自分の気持ちや考えをどこかに発信したくなってきたので、ブログを始めてみた。

でもそれだけじゃなく、オーストラリアでの生活、彼女とのほっこり話なども、思い出としても残していきたいと思っている。

あと情報として、誰かの役に立ったら嬉しい。

 

どうぞ、よろしくお願いいたします〜